自分の母は家から歩いて5分ほどの自家に住んでいます。
その母の髪を切りはじめて一年経ちました。
それまで母は長年近所のパーマ屋さんに行っていました。
春に自転車に乗るのをやめたために、そのパーマ屋さんには行かなくなりました。
するとパーマをかけることもやめてしまいました。
そしてもう自然のままにすると言って白髪染めもしなくなりました。
体の変化は徐々に始まっていました。
ある日、畑で作業中に転倒したため足を痛めてしまいました。
医師の診断は骨粗鬆症と膝軟骨のすり減りとのことでした。
それから足が思うようにすらすらと動かなくなりました。
自分で歩く範囲も限られているようです。
そのことで自転車にのることが怖くなりやめたようでした。
これまでは買い物にいくのも畑に行くのも自転車で好きなように走りまわっていました。
自分で栽培した野菜を町内の野菜直売所に出荷していました。自分の野菜をお客さんに買ってもらうことを生きがいのようにしていました。
病気などをあまりしたことがなく
早朝のウォーキングを続けていたこともあって
私は母は身体が丈夫なんだと思いこんでいました。
自分にできることを変わらずに続けていく
自転車を乗らなくなってからは一人で家から出ることはあまりなくなりました。
それでも自宅の庭に小さな畑を作って自分の好きな野菜を作っています。
きゅうりや茄子、トマト葱を栽培してわけてくれたりします。
今は週一回、私の車に乗り近所のスーパーまで買い物に行くのが習慣になっています。
母には妹さんが3人います。
ありがたいことに
ときどき様子を見に来てくれて、買い物に連れて行ったり食べ物や手料理を置いていってくれています。
まわりに見守る人がいてくれる
母は82歳です。
父が14年前に亡くなってから一人で実家に住んでいます。
今年の5月に介護認定審査を受けて要支援2になりました。
買い物以外の生活は自立しています。
認知症はなく会話をすることはもんだいありません。
いまのところ自分で身の回りのことをし、炊事洗濯掃除をしています。
同じ敷地内に兄の家があり、すぐ隣におりますので緊急時には頼ることができます。
後回しにしては後悔します。
髪をカットした後に
お金はいいよと言ったのですが、
お金を差し出して引っ込める様子はありません。
自分がいくつになっていても子の親であることは変わりないようです。
実家に顔を出せば何か持たせて帰らせようとします。
それは、自分で作った野菜だったりいただきもののお菓子であることもあります。
自分が世話を受けるようになったからといって世話になりっぱなしで済ますつもりはないようです。
父のときにも思いましたが、親子の関係は永遠にかわりません。
しかし、親子の時間はいつか終わりがきます。
今度は自分たちが82歳まで働き続けた母を支えなければなりません。
私は孝行息子ではないし、あまり優しくもありませんでした。
それでも、少しでも母が今の生活を続けていけるよう支援すると決めています。
斉藤聡
訪問カットさいとう代表
訪問介護員歴3年
東北工業大学卒 群馬理容専門学校卒 管理理容師
1995年から理容室、ユニセックスサロンの2店舗で理容師として勤務。
2002年からは訪問理美容専門事業所に所属して訪問理美容を開始する。
同時に訪問介護員2級を取得する。
2019年より伊勢崎市を中心とした地域密着の訪問理容を志し独立する。
同時に資格を活かして訪問介護員としても活動を開始する。
ホームヘルパー4年めになりました。
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